41歳からの不妊治療

41歳から数年間の不妊治療について書き綴ったブログです。(2004年から数年間の過去の内容となります)

あってはならない事故「不妊治療 別患者の受精卵で妊娠、人工中絶」

不妊治療 別患者の受精卵で妊娠、人工中絶」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/223861/

昨日、「とくダネ!」でこのニュース解説を見ながら、涙がでてきました。
不妊治療体験者として、そして数度の流産経験者として、涙がでてきました。

あの記者会見は何?? 命を何だと思ってるの? 妊娠初期の人工中絶は身体的な負担が少ないからたいした問題じゃないっていうの??

言いたいことはいっぱいあります。でも書き出したらきりがないので、いまいちばん言いたいことだけ書きます。

今回の患者さんのことをなんて呼べばいいのかわからないのでAさんと呼びます。

Aさんの身体的な負担は確かに少ないかもしれません。でもいちばん問題なのは精神的な負担、精神的な苦痛です。

私は妊娠初期の流産を、自然妊娠で2回、体外受精での妊娠で3回経験しています。

流産と人工中絶は、一度芽生えた命が途絶えてしまうという点では同じです。自然に途絶えるか、人工的に途絶えさせるかという点で違うわけですが。

流産した妊婦さんは多くの場合、自分を責めてしまうのです。せっかく授かった命をダメにしてしまったのは自分のせいじゃないのか、この世に産んであげられなかった、自分が悪いんだと。

人工中絶の経験はないので経験者としては語れませんが、おそらく流産以上に自分を責めるでしょう。人工的に命を絶ってしまうのですから。

Aさんのことを考えたとき、複雑です。

病院側の説明としては「取り違えた可能性があります」、ということは取り違えていない可能性も少なからず残っているということでしょうか。

Aさんは何も悪くないのに、人工中絶を選択せざるをえない。

でも、万が一、受精卵がその夫婦のものであったら、そうでなかったとしても、どんな命であっても、一度芽生えた命を自分が断ち切ってしまう選択をしてよかったのかとAさんが自分を責めてしまったら...そう考えるとやりきれません。

「その子にはその子の事情があって、すぐに天国に帰らなければならなくなったんだ。その子の事情をうけとめてあげよう。」何度か流産を経験するなかで、私はそう考えることで自分の気持ちを整理してきました。だから、同じように苦しんでいる人がいたら、そう言ってあげたいです。「その子にはその子の事情があったんだ」と。

人工中絶も喜んでする人はいない、苦渋の選択であって、そういう意味では、やっぱりその子に何か事情があってこの世に出てくることを拒んだ結果なのだと解釈してもいいんじゃないかと思ったりします。

Aさんの場合は、それ以前の苦痛がありすぎて、通常の流産や人工中絶と同じには語れませんが、もしも、もしも、Aさんが自分を責めて苦しんでいるとしたら、「その子にはその子の事情があったんだ」と言ってあげたいのです。

もし、Aさんの周囲の方がこのブログを目にしてくださったなら、ぜひAさんにそう伝えてあげてください。お願いします。